前回の続きを書こうとしていた矢先、りすの書房から返答が来た。
なんと、ご丁寧に亞書のサンプルまで添付されていた。対応としては好感が持てる。


要約すると、『亞書』シリーズはりすの書房発行の書籍ではなく、
版元のユダ書院よりりすの書房が販売・流通を請け負っている品とのこと。
尚、巻数と終刊時期については現在のところ未定らしい。

サンプルであるが、PDFファイルで送られてきた。
全部で5頁あり、1頁だけ日本語でデカデカと「亞書」。その下に「ユダ書院」。
2頁目にКнига "ℵ" Александр Мясковский (1893-1930)とある。
作者は故人のようだ。
残り3頁はギリシャ語だろうか。
長い文章が書いてあるが、無論私には読むことが出来ない。

上記メール内容が事実であれば、亞書そのものと「りすの書房」は直接的な関係がないということだろうか?
ただ、版元のユダ書院とやらの実態が掴めないのでなんともいえない・・・。
本当に実在するのだろうか?

そして私の推論だが・・・

まず、「りすの書房」のサイトに「亞書」が商品として存在していないというのは、どういうわけか。
販売・流通させると言いながら、この本を大々的に販売する意図がないように感じる。
だが、なぜかAmazonでは売っている。だがこれも亞書と検索しないと到底見つかりようのない代物である。

これが意味するのは、ちゃんと本としての体裁を為しているという既成事実を作る為ではないだろうか?

それはどういうことかというと、ズバリ国会図書館に納入させるためである。
つまり、Amazonは利用されているというわけだ。

第2回の記事でも書いたが、こちらの納本制度を見ていただきたい。

納入いただいた発行者に対しては、当該出版物の出版及び納入に通常要すべき費用に相当する金額(通常、小売価格の5割と郵送における最低の料金に相当する金額)を代償金として支払うこととなっています。代償金請求の手続については、お問い合わせください。

とある。やはり某掲示板での推論にあったようにこの「代償金」目当ての行為なのではと勘繰りたくなる。
そうであれば、値段の異常性と大量の巻数の説明がつく。

いや、時系列でいえば「言語別聖書集成」の方が先だ。こちらもりすの書房とユダ書院から出ている。
亞書同様りすの書房が流通・販売を請け負う形だろうか?

著者は佐々木 りゝと (監修), 言語別聖書編纂委員会 (編集)。
これもでっち上げの架空と人名と団体で、いかにも存在しているように見せかけているのではないか。

まずこれをAmazonで販売し、流通ルートを作ってから、図書館に本に納入、代償金を得た。
(ちなみにこの「言語別聖書集成」の方が亞書より高額)

これに味をしめた「りすの書房」こと「ユダ書院」は時間をおいて「亞書」を同様の手法で納入したのではないか。

問題はこの行為が合法なのか、ということであるが・・・
私にとってそれはどうでもいい。私はただ、謎を追及しているだけなのである。

さて、もう一度、国立国会図書館の納本制度の概要を見てみる。

すると冒頭にこのような文言がある。

「納本制度」とは、図書等の出版物をその国の責任ある公的機関に納入することを発行者等に義務づける制度のことです。
わが国では、国立国会図書館法(昭和23年法律第5号)により、国内で発行されたすべての出版物を、
国立国会図書館に納入することが義務づけられています。

更には発行者が正当な理由なく納入しなかったときは、罰せられるともある。

つまり、納入しないといけないのだ。ということは「りすの書房」が行っている行為はなんら問題はない。

気になるのは、似たような書物と相場がかけ離れていても納本が可能なのか、ということ。
可能であれば極端な話、100万円という値段を付けても良いということになる。
だが常識に考えてそんなことできるわけがない。
国宝級のものや、それ相応の価値があれば話は別かもしれないが…。

亞書は売値ぐらいの価値がある、と認められているのだろうか?
それとも例外があり、全くもらえなかったりするのだろうか?

「代償金」の判断を誰がしているか分からず、どの程度の金額をりすの書房が受け取っているか
知る術はない・・・。

とりあえず、サンプルの文章を読める人を探してみるしかない。
あとは気になっている岩井悦子詩集などを国会図書館に見に行ってみたいと思う。 







つづく